OiBokkeShi・菅原直樹の「花咲かボケじい」- 特集ページ - 演劇ポータルサイト/シアターガイド
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シアターガイド×アーティスト シリーズ Vol.11

OiBokkeShi・菅原直樹の

花咲かボケじい

「老いと演劇は相性がいい」を合言葉に、俳優にして介護福祉士の菅原直樹が、演劇を通じて「老い」「ボケ」「死」に向き合う演劇ユニット「OiBokkeShi」。その第1回公演までの長き道のりを、菅原自身の言葉でつづる。

1. はじまりはじまり

むかしむかしあるところに――。
という出だしから始めたくなるタイトルだが、「いまここ」の話から始めたいと思う。

いまは2014年9月2日の午前11時、ここは岡山県和気町にあるぼくの自宅。ぼくは2年前に和気町に移住してきた、小劇場の俳優であり介護福祉士だ。特別養護老人ホームで介護職員として働きながら、「老いと演劇」OiBokkeShiという演劇ユニットを主宰している。

今年6月から8月まで3か月間、和気町で「老いと演劇のワークショップ」を開催してきた。このワークショップは、参加者に「介護と演劇の新しいあり方」をシアターゲーム、演劇創作などを通じて体験していただく内容だ。東京、京都、神戸、日本各地から集まった参加者は、年齢層は幅広く、どの方も好奇心旺盛な方ばかりだった。なかでも「おかじい」という愛称を持つ、岡山市在住88歳の男性との出会いは、OiBokkeShiの活動を方向づける大切なものとなった。

おかじいは、認知症の妻を一人で介護している“脇役俳優”だ。定年後に俳優を志し、これまでに今村昌平監督の「黒い雨」「カンゾー先生」などにエキストラとして出演している。「老いと演劇のワークショップ」には、新聞に掲載されたワークショップの告知を読み、「ボケは正さず、演技で受け止める」という見出しに共感して参加したそう。演じることが大好きなおかじいは「命のある限り演じ続けたい」と言っている。

ワークショップで出会った人びと、そして和気町の熱き人びととともに、OiBokkeShiでは今秋に演劇公演を考えている。もしかしたら秋には間に合わないかもしれないが、とりあえず秋にできたらいいなと考えている。この『花咲かボケじい』の連載では、OiBokkeShiの活動が始まった経緯や、これからの演劇公演について書いていければと思う。

ぼくは、介護現場を通じて認知症のお年寄りと出会うことができて本当によかったと思っている。認知症のお年寄りが世界に存在してくれてよかったとすら思っている。しかし、その気持ちを今までうまく言葉にすることができないでいた。OiBokkeShiの活動を通じてそのことについて深く考え、そして、この場を通じてなんとか言葉にすることができればと思っている。

認知症のお年寄りが世界に花を咲かすことがある。演劇によってそのような場をあちこちに増やすことができれば。

画像1/おかじいとのツーショット!

▲おかじいとのツーショット!

2. 老いと演劇は相性がいい

ぼくは大学在学中から東京で俳優として演劇活動を行ってきた。高校3年生の時、桜美林大学のオープンキャンパスで劇作家・演出家の平田オリザさんの演劇ワークショップに参加して、演劇の可能性の深さに驚き、それ以来ずっと演劇一辺倒で生きてきた。

大学を卒業後、フリーの俳優として東京でさまざまな劇団の公演に出演してきた。20代が終わりに差し掛かった時、オリザさんの劇団・青年団に俳優として入団し、2年間付き合った彼女と入籍した。こう書くと何やらめでたい印象を与えるかもしれないが、ちょうどその時期に無職になった。無職、というのは、演劇ではメシが食えないので、だいたいの演劇人がアルバイトをしている。そのアルバイトが契約満了となり、無職になった。ぼくにとって新婚生活とは、家で一人ぐうたらしていたことになる。

この時に少し悩んだ。このまま小劇場で俳優をしながら転々とアルバイトを続けていくのか。演劇とは別に、普通にメシが食えるスキルも持った方がいいのではないか。これはおそらく小劇場で演劇を続けている人は、どこかのタイミング、つまり入籍やら30歳という人生の節目やらで考えることなのかもしれない。そこでぼくは、すぐに次のアルバイトの面接を受けるのではなく、家でぐうたらしたのち、ハローワークに行って職業訓練の説明を受けることにした。

職業訓練のパンフレットには、接客業、情報・通信、医療・福祉など、さまざまな専門技術の学科が紹介されていた。インターネット関連も少し興味があったが、人と面と向き合う仕事の方がいいだろうと思い、なんとなく介護を選んだ。高校生の時に認知症の祖母と共同生活をしたことがあり、その時の奇妙きてれつな経験が自分の中で未処理のまま放ったらかしになっていたことも、理由の一つだろう。

祖母はタンスの中にいる小人にご飯をあげようとしたり、デイサービスで出会った男性が「迎えに来た」と夜中に家を抜け出したりした。介護という仕事を通じて、認知症という謎と向き合ってみたいという思いがあったのかもしれない。

特別養護老人ホームで介護職員として働き始めてすぐ、認知症のお年寄りを前に演技をしている自分に気付いた。

例えば、あるおばあさんは、ぼくを見て「あら、時計屋さんだね。覚えてるわよ」と話し掛けてくるのであった。最初のうちは「いえ、職員の菅原です」と答えていたが、何度会っても「時計屋さんだね」と話し掛けて来る。おばあさん行きつけの時計屋さんの容貌に似ているのかもしれない。時計屋さんではないといくら訂正してもおばあさんの記憶には上書き保存されず、依然、ぼくは“時計屋さん”のままである。あまりしつこく訂正するのもどうかと思った時、ふと「時計屋さんを演じてみたらどうだろう?」という俳優としての好奇心がわいた。
「あら、時計屋さんだね。覚えてるわよ」
「久しぶりですね〜。なにか時計の困りごとはありますか?」
「もういっぱいあるわよ〜」
即興劇が始まってしまった……。
ぼくは、そのおばあさんが小学校の近くで文房具屋を営んでいたという生活歴を知っていたので、「子どものころはよくお世話になりました。みんな、おばあさんの店に通ってましたねぇ」と答えると、おばあさんは「そうだね〜」とうれしそうに遠くを見つめるのであった。

時計屋さんを演じることに関しては、やはり嘘をついているので多少罪悪感があるのだが、おばあさんのうれしそうな表情を見るとこちらもうれしくなる。こういう接し方があってもいいのではないかと思った。日常生活で「演技をする」というと、人を騙す、嘘をつく、などのマイナスな意味合いがあるが、演技を通じて人と人が心を通わせることもあるのではないか。

また、老人ホームではこういった場面をよく見かける。

昼食の準備が整い、テーブルについていない認知症のおじいさんに介護職員が昼食の声掛けをする。しかし、おじいさんは風呂敷にタオルやら日常品を包み、「これから田植えに行くんじゃ」と答える。もちろん、おじいさんが田植えをやめてから久しい。

おそらくおじいさんは老人ホームが自分の居場所と思えず、とにかくここから抜け出したいと思っている。認知症や老いに伴う障害によって、いろいろなことができなくなった自分を受け入れることができず、頭の中ではいろいろなことができた時期、つまり田植えをしていた時期に戻っているのだろう。

そんな時、職員は時間内に業務を終わらせることを優先して、「田植えよりもご飯を食べましょう」と声掛けをしがちである。確かに、現実にそのお年寄りが田植えをする田んぼはない。

しかし、ぼくはこういう時こそ演技が有効なのではないかと思った。

考えてみれば、認知症のお年寄りは介護者からその言動を否定されてばかりいる。ぼくたちの社会で通用している価値観で接してしまうと、どうしてもボケを正してしまいがちである。

しかし、いくらボケを正したとしても、決して認知症は治ることはない。現代の医学をもってしても治すことはできない。薬の服用は認知症の進行を遅らせるだけだし、薬が必ず効果があるとも言い切れない。

むしろ、介護現場ではボケを正すことによって、認知症のお年寄りの感情を逆なでし、結果、“問題行動”が生じるケースが多い。認知症のお年寄りと関わる上での大切な留意点は、認知症のお年寄りは理屈が通じないかもしれないが、感情はしっかりと残っているということだ。誰でも全ての言動を否定されれば叫びたくもなる。

介護者に求められることは、ボケを正すことではなく、薬に頼ることでもなく、演技をすることなのではないか。相手の感情を尊重して、たとえ現実ではありえないこと、常識では間違ったことだとしても、相手のストーリーを引き受けて演じる。演技によって、認知症のお年寄りと介護者の関係を良好に保つことができるのではないか。

このようにして老人ホームで働く俳優の頭の中では、演劇と介護がどんどん結びついていった。認知症のお年寄りの人生のストーリーを踏まえた上で、いかにお年寄りに役割を与え、自分らしい生活を送ってもらうかという視点は、まさに演劇でいうところの演出である。この興奮を多くの人と分かち合いたいという思いから、ぼくは「老いと演劇のワークショップ」を企画することにした。

(つづく)

プロフィール

菅原直樹
(すがわら・なおき)

俳優、介護福祉士。「老いと演劇」OiBokkeShi主宰。青年団所属。小劇場を中心に前田司郎、松井周、多田淳之介、柴幸男、神里雄大など、新進劇作家・演出家の作品に多数出演。2010年より特別養護老人ホームの介護職員として働く。介護と演劇の相性の良さを実感し、地域における介護と演劇の新しいあり方を模索している。2012年、岡山県和気町に移住。