特集:「キレなかった14才りたーんず」  - 特集ページ - 演劇ポータルサイト/シアターガイド
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6人の演出家による連続上演「キレなかった14才りたーんず」特集 日程:2009年4月16日(木)〜5月6日(水・祝) 会場:こまばアゴラ劇場

vol.05 私が見た「りたーんず」

そしてようやく、6作品が生まれた

舞台写真/白神ももこ 演出「すご、くない。」

▲白神ももこ 演出「すご、くない。」

私は各作品とも前半1回と楽日の、計2回ずつ観た。作品の方向性という意味では、『少年B』(柴)や『14歳の国』(杉原)のように“14才”を強く意識したもの、『アントン、猫、クリ』(篠田)『すご、くない。』(白神)のように14歳のころの世界観を投影したもの、自身のルーツを振り返った結果生まれた『学芸会レーベル』(中屋敷)や『グァラニー〜時間がいっぱい』(神里)のようなもの、と6作品を大きく分けることができるかもしれない。だが、全ての作品に共通して感じたのは、「これまでの彼らの作風と、ちょっと違うな」ということだ。過去に観た作品から、6人とも作品の中に作家・演出家自身をあまり直接的にちらつかせない作風という印象があったのだけれども(篠田作品はそうとも言い切れない部分があるが)、この6作品には生身の、26歳の彼らがもっと顔をのぞかせている感じがしたのだ。

舞台写真/杉原邦生 演出「14歳の国」

▲杉原邦生 演出「14歳の国」

今回の作品について演出家たちと深く話をしたわけではないが、聞いたところではどの作品もなかなかの難産だったそうだ。それがなぜかは分からないけれども、開幕前のインタビューやなにげない雑談の中で、彼らに共通の、ある漠然とした迷いがあることは感じていた。それぞれ自分のフィールドを得つつある、でも演出家としては10年にも満たないキャリアの彼らが、自分の演出や生き方に対して「このまま突き進んでいいのだろうか、別の可能性もあるのだろうか」と迷う気持ち。この企画によってもしかしたらその迷いが露呈し、それが今回の作品にも影響して、いつもとは違う、ある意味「実験」的な傾向が生まれたのではないだろうか。その点で、私は作品単体の完成度の高さよりも、この企画で彼らが何にぶつかり、何を乗り越えたかということに興味が湧いたし、この先彼らが何を観せてくれるかが、とても楽しみになった。

「りたーんず」を経て、これから。

写真/ロビーの様子

▲ロビーの様子

38公演の最後は『少年B』が締めた。1階の客席後方にいたのだが、ふと見上げると、キャットウォークの一番端で柴がじっと舞台を見つめていた。こういう瞬間、演出家はどんな想いでいるのだろう。ふいに耳の後ろが熱くなるような感じに襲われて、舞台に目線を戻した。舞台では、オーディション時に中学生で、今は高校生になった井上みなみちゃんが、年上の男優陣相手に堂々と演じていた。彼女がこの数カ月に吸収したものははかりしれない。しかし、ほかの出演者たち、演出家たち、スタッフ、そして私自身も、今はまだ実感がないが、かなり多くの経験を得たのだと思う。

写真/突発的に行なわれた「14歳の国」アフタートーク

▲突発的に行なわれた「14歳の国」アフタートーク

千秋楽のあと、居酒屋の大広間を借り切って打ち上げが行なわれた。最後まで片付けをしていたスタッフがそろったのは0時ごろだったが、それから始発が出るまで一晩中、演出家、出演者、スタッフのほぼ全員が残り、自主的に何度も席替えをしながら、いろんな顔合わせで思い思いに話をしていた。「あなたの演技がよかった!」と熱弁をふるう人、「あの演出はどんな意図なの?」と直接演出家に質問する人、次に出る芝居の話をしている人、演劇とはまったく関係ない話で盛り上がる人……そうそう、このまとまりきらない感じがりたーんずだ。話に夢中になるみんなの姿を見ていたら、企画はもちろんこれで終わりなのだけれど、この先もまだ何かがつながっていくような、そんな予感がした。

この半年間を振り返っていま思うのは、取材に入った最初に、篠田と制作・野村に言われた言葉だ。「興味があるなら積極的に関わってほしい。そして自分で提案したことは、最後までやること」。

写真/ポスターにみんなで寄せ書きした

▲ポスターにみんなで寄せ書きした

これは篠田の力が大きいと思うのだが、「りたーんず」の裏方には、編集者、ライター、作家、デザイナー、ミュージシャン、クリエーター……などなど、普段は演劇を観ない人も実にたくさん関わっていた。演劇を知らなくても、企画に興味があれば参加できる。その敷居の低さは企画のはじめから演出家たちが大事にしてきたことで、例えば公開オーディションを行なう、キックオフパーティーを開く、合宿や劇場ロビーをweb中継する、雑誌をつくる、webで動画を流す、ワークインプログレスを公開するといった形で、彼らは自分たちの創作現場を公開し、そこに第三者が関わる可能性も拒まず受け入れてきた。いい作品をつくるのはもちろんだが、その創作過程や演劇を取り巻く環境、観客とのかかわり方を問い直し、演劇と真摯に向き合うこと。それはりたーんずが貫いたひとつの姿勢であり、実際、彼らは自分たちの手の届く範囲で、かなりたくさんのことを実現させたのではないだろうか。

しかし、りたーんずが終わってからしばらくはどうにも想いがまとまらず、かかわったメンバーに会ってもなかなか言葉が出てこなかった。私はただこの企画を傍らで観ていただけなのだが、彼らを追いかけながら確実に何かに会い、何かを経て、何かを得たのだと思う。一カ月経ったいま分かるのは、半年前に感じていた、りたーんずとは直接関係ない漠然とした靄(もや)のようなものが、少しだけ晴れたということだ。演劇のこと、自分のこと、周囲のこと、明日のこと。そこにどう居るかを、りたーんずと関わる中でいつの間にか私自身も考えていたようだ。

嵐のような半年間を経て、いま。演出家6人をはじめ、35名の出演者やスタッフたちは、別の場所でもう新たな活動を始めている。そのことがうれしくもあり、頼もしくもあり、少しうらやましくも思う。「“りたーんず以前・以後”と言われるような企画にしたい」とは篠田の言葉だが、この企画の真価は、これからきっと明らかになっていくだろう。