特集:勅使川原三郎『ダブル・サイレンス ― 沈黙の分身』 稽古場レポート「無音/沈黙の中に息づく身体」  - 特集ページ - 演劇ポータルサイト/シアターガイド
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『ダブル・サイレンス』画像 Bunkamura20周年記念特別公演 勅使川原三郎『ダブル・サイレンス』―沈黙の分身 稽古場レポート「無音/沈黙の中に息づく身体」

 鋭く、滑るように優雅に空間を切り拓くダンサーたち。その腕の速さは残像となって、観るものの瞳に焼きつく。だが、まさにその瞬間、あったはずの場所にその身体はない。身体は常に別の時間、別の場所へと移動し続ける。私たちはただ、見る・聞くといった知覚によって、いわば後追い的にそれが《存在した》ということを確認しているにすぎない。刹那的というのでも、はかないというのでもない事実。勅使川原三郎の差し出す“存在の瞬間”は、そんな厳格さをともなって美しい。

写真/佐東利穂子(左)と勅使川原三郎。ひときわキレのある動きを、稽古場の関係者も固唾を飲んで見守る

佐東利穂子(左)と勅使川原三郎。ひときわキレのある動きを、稽古場の関係者も固唾を飲んで見守る

 3月上旬、新作『ダブル・サイレンス』の稽古場。音響機材と簡単な照明以外は何もない空間。臓腑も震えるほどの重低音のノイズが鳴り響くなか、気鋭・佐東利穂子と10代を中心とする若いダンサーたちが、勅使川原の出す合図に従って次々と駆け出し、立ち止まり、周囲の空気に、自らの身体に耳をすます。“音(無音)と沈黙”をテーマに掲げた本作。特殊な音響機械を用いて作られたさまざまな周波数の音と無音が織り成す空間の中に置かれることで、身体はより鋭敏に、自らの内部と外部を感じ取り、表現する。

「僕はあまのじゃくなので、まだ誰もやっていないことをやりたい。言葉や感情を求める芸術作品はあるけど、『沈黙』はまだ描かれていないのではないか。『沈黙』には豊かな何かある。これは大いなる挑戦です」とは稽古前の勅使川原のコメント。自ら音響や照明を調整し、「入って」「出て」など、ごく短い指示を出しながら、じっと、確かめるように稽古を見つめる。その姿は、ダンサーというより、研究者や哲学者のようでもある。「ドアを開けたらそこは無音だった――と言うことはできても、果たしてそれを『沈黙だった』と言うことはあるだろうか。つまり『沈黙』というのは人間の身体が行うもの、身体の方から向かってくるものではないだろうか。というのが僕の問いかけです。だとしたら、身体の中には何があるのか。そこがダンサーとして表現者として最も興味深い、探検できる空間なんです」

写真/10代を中心とする若手ダンサーの参加も注目される本作。最年少メンバーはなんと14歳

10代を中心とする若手ダンサーの参加も注目される本作。最年少メンバーはなんと14歳

 光をテーマにした『Luminous』しかり、“ダンスは空気と身体が織りなすもの”という自らの活動のコンセプトをそのままタイトルに冠した『空気のダンス』しかり。勅使川原の試みは常に、人間の知覚のありようを観察、解剖し、この時空間に生きる“存在”を捕捉しようとするところから始まる。光も空気もその振動である音も、私たちの知覚に不可欠な要素だし、ダンスもまた、その中でしか生きられない。もちろん、こうした挑戦の先に決まった方法や解答が用意されているわけではない。だが彼は、この不確実性に対してもある確信を持って向き合っている。「まだ分からないことはあるけれど、それをいい加減になんとかなるでしょう、とは思ってない。作品をつくるということは、これはこうじゃないか、こうだ、という予兆を架空に、あるいは空中に浮いているような状態に設定すること。意味性が完結すればいい、伝達されればいいなら、パンフレットの文章だけで済ませたっていい。そうじゃなくて、身体というのは不可思議なもので、現場で何が起こるか……そういう不可思議性が挑戦するに値する。今はそうして挑戦し続けたことがすべて、本番にぴたっと一致するように、振付・演出家として照準を合わせているところです」

【公演情報】

勅使川原三郎『ダブル・サイレンス ― 沈黙の分身』

2009.3/21(土) 〜 29(日) Bunkamura シアターコクーン

【スタッフ】 振付・美術・照明・衣裳=勅使川原三郎 照明技術=清水裕樹 音響技術=宮下章 舞台監督=黒澤和臣
【キャスト】 勅使川原三郎/佐東利穂子 ほかKARASダンサー

全指S席7,000円/A席6,000円、コクーンシート4,000円(劇場、ぴあのみ)

お問い合わせ=劇場 TEL.03-3477-9999