麿赤兒 インタビュー 創刊15周年記念インタビュー 第2弾 - 特集ページ - 演劇ポータルサイト/シアターガイド
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記念インタビュー 第2弾
麿赤兒

「15周年」なんて言葉もこの人の前ではひよっこの言。今年、旗揚げから35周年を迎えた大駱駝艦の艦長・麿赤兒氏は、呵々大笑しながら長き“航海”を遊びと言いきる。「劇顔」からコミック評までシアターガイドにも、さまざまに登場している御大の、遊び心の奥に迫る。

写真撮影=宮川舞子

コミック道は大駱駝艦に通ず

麿赤兒

―おかげさまで今年、「シアターガイド」は15周年を迎えることができました。

おめでとうございます。

―ありがとうございます。麿さんと「シアターガイド」の関係について振り返ると、インタビュー記事はもちろん、十文字美信さんの写真とインタビュー記事で構成された連載「劇顔」にも登場していただいています。それから、鈴木現編集長が大駱駝艦に密着取材をした連載「遊びをせむとや航行す」でもお世話になりました。そして、今年は「麿赤兒のコミック道」と題して、コミック(マンガ)作品について隔月で語っていただいていますね。麿さんとコミックの取り合わせは、正直想像していませんでした。マンガはかなりお好きなんですか?

好きですよ。嫌いなやつはいないだろ、なぁ? それなりに好きだよ。マンガから題材を採り入れることもあるよ。

―そうなんですか?

マンガが拓いてきた世界にもね、百人百様の世界があるわけだけど、そういうところからちょっと借りて、っていうのは結構あったよ。俺たちは、もう、それこそ児童向けマンガ雑誌の「冒険王」とかさ。「のらくろ」まではいかないけど。まあいろいろあった。あとは、園山俊二とか。知ってる? 「(はじめ人間)ギャートルズ」なんてのは、けっこう面白かったけどね。石器時代にお金のデッカいの運んで歩くとかさ、同じことやってるのな、近代と。それこそ「鳥獣戯画」じゃないけど、はるか昔からあったからな、漫画っぽいのは。どういうことなんだろうなぁ。(マンガに惹かれるのは)やっぱり一つは、笑いというものの広がりだよね。新しい笑いのトポスの発見っていうのかな。(マンガには)そういうものを広げてきた仕事がけっこうあると思うんだよ。シニカルな笑い、冷笑みたいなものから大笑い、微笑みまで、いろいろな笑いね。もちろん時代によって笑いも、同じシニカルでも、笑わせ方が違ったりするから。どっちかっていうと俺なんかはブラックな笑いの潜んでるものが面白いと思うよね。

―大駱駝艦の作品でも笑いを意識されてるんですか?

(観て)笑う人は笑うしなぁ。ややこしい、訳分かんないから笑っていいのかどうか分からない、っていうのもあるしね。それも一つの笑いのトポスだよな。笑っていいんだか下向いていいんだか、拍手していいんだかよく分からねぇみたいな。そういう変な状況っていうのもパック化すると強いんだよな。儀式化すると。

身体が語るモノガタリ

麿赤兒

―大駱駝艦の作品を観ていると、なによりも白い裸の身体の特異な存在感に圧倒されます。麿さんが身体に関心を持たれる原体験というのはあったんでしょうか?

子供のころから、身体でできる遊びが好きでね。なにせ金がないから、やることって言ったら、まず海で泳ぐか、野っ原で戯れるか、とかね。あとは人とじゃれ合うか。本当に動物みたいなもんだから。田舎だったから、木から落っこちたり、海で泳いで溺れたりして死にかけたとか、崖から落っこちてけがしたとか、それで身体感覚に目覚めていくんだよね。ちっちゃなちっちゃなイニシエーション(きっかけ)が何回も何回もあって。皆さん同じことだと思うけど(笑)。

―子供のころから、身体がガッシリして大きかったんでしょうか?

うーん、ガッシリっていうかね。きっかけを言うとね、小学校5年生の時に結核で入院したんですよ。9カ月くらい入院させられちゃって。病院だから、「栄養のあるもんを」とか何とか言って、うまいもん食って寝てばっかりいて、どんどん成長しちゃったんだよね。それで6年生の時にぜんぶ伸び切っちゃったの。

―どれくらいになったんですか?

170センチくらいまで、伸びちゃったの。それ以降は、そのまま伸びてないんですけどね。実際は168.5センチくらいだけど(笑)。この2センチっていうのがね、170いかないと恥ずかしいっていうのかな。われわれの、昭和のね、一般的な身体感覚っていうのがあるんですよ。そういう目覚めもある。コンプレックスっていうのかな。中学3年くらいになると周りもだんだんと伸び出してね、どんどん列が前になっちゃうんですよ。そういう肉体的なコンプレックスみたいなものは、身体を目覚めさせていくんだよね。「俺は脚が太いなぁ」とか。敏感ではあったんだろうね。脚が太いとか、背が低いとか頭が大きいとか、8頭身くらい欲しいとか。だから部分部分に対する不満っていうのはいつもあるわけだよ。そういうことは普通忘れてしまうでしょ。だんだん大きくなってくるにつれ。みんな、そういう体験は持ってると思うけど、僕はただちょっとこだわりが強かったっていうことかもしれない。

―麿さんは、1960年代に土方巽さんや唐十郎さんと出会って、舞踏や演劇の世界へ入られましたが、やはりそのころから関心は身体なんでしょうか? 麿さんの創作スタイルにおいて、言葉はどのような意味を持つのでしょう?

踊りだと身ぶり手ぶりというものに普段より意識的になるし、芝居のように言葉に身体をそわせていくことからはみ出したいという欲求も出てくる。だけど一方で、言葉というものが身体の動きというものを誘発するということも常にあるんだな。

―舞踏の場合にも、言葉から動きが生まれることがあるんですか?

僕なんかは特にね。その人がどんな変な動きになるかというかね、面白い動きを出してくるかっていうための、方便として言葉を使う。ただ、たとえば蝶々やってごらんって言ったって、蝶々をイメージして(手をはためかせて)「チョウチョ〜」とやっても面白くない。蝶々だっていろいろいるだろうと。それで、「ガラスに留まろうと思っても留まれない蝶々はどんなんだ?」っていうふうになってきた。そのイメージも言葉だけど。観たことない動きをやろうとする方が面白いんだよな。そういう未知の面白い動きを引き出したいがために「ズルズル」とかね、イメージを表す言葉は使う。まあ、結果、誰もそれを観て「チョウチョだ」とは分かんないよな。だけど、僕としては何の意味もないようで面白い、というふうなことを採っちゃうんだよね。採集するわけだ。

―それが舞踏の基本と言われる、身ぶりの「採集」。

何か言葉とか意味から離れた、もう一つのリアリティーだな。そういうモノがあればより面白いというね。

―稽古ではやはり、当たり前の動きからなるべく離れていって、見たこともない動きとか、予想しなかった動きというのを引き出すことに時間をかけるのでしょうか?

いわばインプロヴィゼーション的な、即興的なことは(作品に)いつもあるよ。ただ、そこばっかりいくらやってもね、その人が持っているある種の癖の中で慣らされちゃってるものも多いから。何回もやると面白くなくなる。ただ、その中でもちょっとした拍子にパっと生きたモノが出てきたりするんだ。それも大きな意味での即興なんだけど、そのいいとこを捕まえる。そういうモノを組み立てていく、という方法はよくやるけどね。

―そうやって採集した動きで作品を組み立てる時に、明確なテーマやストーリーというものは考えているのでしょうか?

いわゆる起承転結っていうものはないんだけど、モノについて語るという意味では、“物語”であるということは確かだから。「語」は、ゴンベンだから言葉だけかと思うけど、身体が語るっていうことでもありでね。

―公演チラシなどでは「モノガタリ」と書かれてますね。

物っていうのには本当に具体的なマテリアルとしての「物」もあれば、ある事柄の意味を含んだ抽象的な言葉としての「モノ」もあると思うんだ。簡単に言えば情念。大体、われわれは具体的な物ではなくても、「悲しい」という状態は分かってるじゃん。人と別れて悲しいとかね、桜が散るのが悲しいとか。人間の感情と物とのかかわりの合体物でしょう、「もののあはれ」なんてものは。そういう合体物っていうのはこの世にいっぱいあるから。もっともっと変な合体物を作っちゃおうと。麿ワールド的な。「ものの……クソッタレ」とか何でもいいんだけど(笑)、心を含んでるモノである身体と、別のモノがドカンとぶつかるとどんなモノが生まれるんだろうっていう作り方をしてるわけだ。だから、起承転結はないけど、いろんなところに入口があって出口がある。スっと入ってスっと出てもいいし。あとはどこからでもいいけど入って、何カ所かウロウロウロウロしてまた入口から出てきてたっていい。出口が無いかもしれなとか、な。

―矢印が一方向ではなく、いろんな方向に枝分かれしていくイメージですか?

そういうことだな、うん。まさに都会の路地と同じだよ。どこ行ってもどっかに出るじゃん。迷い込むけども、ね。その路地をウロウロウロウロする楽しみと同じようなもんでね。「何が出てくるんだろう」「あの角っこに何がいるんだろう」とウロウロさせておいて、「あの辺の角から何か変なモン出しちゃおう」みたいなね。ビックリさせてやろうとか、気持ち悪がせてやろうとかね。急にムラムラっとさせてやろうとか。要は遊んじゃうっていうかね。