特集:シアターガイド創刊20周年&リニューアル特別企画  - 特集ページ - 演劇ポータルサイト/シアターガイド
サイト内検索
すべて|
公演名|
人名・劇団名|
劇場|
演劇ニュース
様々な条件で検索
こだわり検索
注目キーワード

特集ページ

新・表紙デザイナー ヒロミチイト インタビュー

新生『シアターガイド』の表紙を手掛けるのは、単行本の装丁や雑誌の挿絵などで活躍中のイラストレーター・ヒロミチイト。「『グッ』とくる絵をお描き致します」をコンセプトに、力強いタッチの人物画から味のある風景画まで幅広い作品を手掛ける彼の、都内にあるアトリエを訪ねました。

活発な少年時代から、絵を描くことに目覚めるまで

作品タイトル/象の悩み

▲作品タイトル「象の悩み」

ー絵は子どものころから描いていたんですか?

そうですね。「サイボーグ009」とか、アニメを見てチラシの裏に真似して描いていました。それが始まりかな。小学生のころは、教科書に載ってる偉人の顔に落書きしたり、パラパラ漫画を書いて友達に回したり。授業を有効活用してました(笑)。

ー同級生の中では、やはり絵は上手いほうでしたか?

字よりは上手かったかもしれないです(笑)。今見ると、きっと「うわー」って感じでしょうけど、当時の僕はキャラクターを描くのが上手い子、もしくはひょうきんな子でした。

ー活発な子だったんですね。

三重の田舎に住んでいたので、学校が終わったら山に行って遊ぶか、友達の家に行くかでしたね。授業中でも地面這って外に出たりしてましたから。通信簿の備考欄に毎年「落ち着きがない」って書かれてました(笑)。

ー中学、高校は?

中学から高校1年までサッカーをやって、2年からはアマチュアレスリングをやってました。友達もみんなそういう感じだったので、文科系に入るという考えは一切なかったですね。ただ、そのころから音楽にハマってギターも始めていたので、自分には内なる世界のほうが向いてるんじゃないかと思っていて。だから大学に入ったらスポーツはやめようと。

ー京都にある大学ですよね。

そうです。一人暮らしがしたかったのと、京都は音楽が盛んだったということもあって。で、大学入って軽音サークルにも入り、時間もたくさんあったからバイトも始めたんです。そしたらバイト先にイラストレーターを目指してる人がいたんですよ。その人の家に遊びに行ったら「イラストレーション」っていう雑誌があって。「こんな世界があるんだ!?」と思いましたね。その雑誌でアクリル絵の具の存在を知って、近くの画材屋に行き、いろいろ買ってみてとりあえず描いてみたんです。すごく特別なことをしてるなっていう感じがしました。誰に見せるわけでもないんですけど、なんか文化的なことをしてるぞって(笑)。

ーでは、それをきっかけに大学卒業後の進路も考え始めたんですか?

いや、何も考えてなかったですね。4年になって、さすがに「ヤバいぞ」と思って(笑)。そんな時に仲井戸麗市のCDジャケットを一般公募で決めるという企画があったんです。イラストでも写真でも立体でも何でもよかったから、出してみようと。そしたらジャケットにはならなかったんですけど、チャボ(仲井戸麗市)が絵を気に入ってくれて、ツアーグッズのバンダナにしてもらえることになって。自分の中では驚きだったんです。「好きなことって仕事になるんだ」って。これを機に、真剣に絵に取り組んでみようと思いました。

海外留学を経て、イラストレーターの道へ

作品タイトル/Crowd

▲作品タイトル「Crowd」

ーアメリカへ留学したのは、どういう経緯だったんですか?

それもきっかけは音楽でした。ローリング・ストーンズやボブ・ディランとか、彼らと同じ言語で話すことができたらどんなにいいだろうという思いと、その文化を実際に体感してみたかったんです。留学先にサンディエゴを選んだのもトム・ウェイツの故郷だったから。で、語学を学びつつ、絵も描き続けていたんです。でも、そのころから頭に思い浮かべたものが描けなくなってしまって。自分のイメージに技術が追いつかなくなってきたんです。それでちゃんと絵を学ぶために、サンフランシスコにある大学院に入ることにしました。

ーそこでは具体的にどういうことを?

大学院での授業だけでなく、基礎を学ぶために大学のクラスにも出席しました。透明なものを描くにはどうすればいいのかといった、光や色の勉強などを集中してやりましたね。そこで出会ったサノカズヒコさんという先生がおっしゃっていた、「画家はバケツを一つ持って、そこにいろいろな道具を入れていくんだ。増えていったら大きなバケツに持ち替えて、卒業したらそれを持って社会に出る。どれだけバケツが大きいか、どれだけ使えるものがあるかが勝負だから、今のうちにがんばりなさい」という言葉がとても印象に残っています。先生の絵に対する情熱や姿勢にはすごく影響を受けました。

ー卒業後に帰国し、いよいよプロのイラストレーターになろうと決意するんですね。

帰国して、現在アトリエを共有している木内達朗さんと連絡をとり始めたんです。当時緑ヶ丘にあった木内さんのアトリエに一年くらい居させていただきました。最初のうちは、自分がどういうスタイル、どういう絵を描いていくべきかでかなり悩みまして。そんな僕を見て、木内さんが「頭で考えているだけではダメだよ。実際に描かないと。イラストレーターは絵を描いてナンボだよ」と言ってくれたんです。それまでは一個の大傑作を作ろうと思っていたんですけど、そうではなく、100個の駄作を作ろうと考えるようになりましたね。早速その日の夜から自分で撮った写真をもとにした絵を描くようにしたんです。それも時間を3時間なら3時間と制限して、さらにキャンバスを寝かせて描くのではなく、立たせて描くことで自分の手の動きを不自由にさせて。そういった制約をすることで、写真との誤差が生まれ、それが味になっていることに気が付いたんです。こういうふうに歪めることができるのは僕だけなんだなと、オリジナリティーに結びついたんですね。実際にそれが小説の装丁の仕事につながったりもしましたし。これでやっていくんだなと実感しました。

ーそういった風景画はもちろん、ノスタルジックな印象を与える人物や、犬、猫といった動物の絵もヒロミチさんならではですよね。

以前は遊びのつもりで書いてたんですけど、時間が経つに連れて風景画のタッチと相性が合ってきて。今ちょうど風景の中にとけ込ませようとしている時期ですね。いいバランスになってきていると思います。

ーヒロミチさんの描く絵の幅の広さが、本誌の表紙をお願いした理由の一つでもあるんです。

バケツにいろんな道具を入れておいて良かったです(笑)。これからたくさんの人物を描くことができると思うと、すごく楽しみですね。

ヒロミチイト プロフィール

1971年生まれ。京都学園大学卒業後、アメリカのAcademy of Art Universityの大学院にてイラストレーションを学ぶ。帰国後は木内達朗に師事。ギャラリーハウスMAYAが主催するコンペティションVol.6でMAYA賞を受賞したほか、国内外の多くの公募で入選を果たしている。