特集|「ミュージカル映画事典」の著者・重木昭信に聞く【第4回】黄金期のスターたち演劇ポータルサイト/シアターガイド
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「ミュージカル映画事典」著者に聞く

世界初のミュージカル映画「ジャズ・シンガー」(1927年)から「イントゥ・ザ・ウッズ」(2014年)まで、アメリカ・ミュージカル映画の全貌を紹介する本邦初の事典「ミュージカル映画事典」。アメリカの映画・テレビ作品を中心に、英・独・仏の主要作を含めた約3400作品を収録した本著が、どのようにして執筆されたのか、著者・重木昭信に聞いた。

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【第4回】黄金期のスターたち

「【第3回】初期のミュージカル映画で活躍したスターたち」はこちら

■長峯:前回は、ジュディ・ガーランドの話を伺いました。MGMの大スターでは、もう一人ジーン・ケリーがいますね。

◇重木:ジーン・ケリーは、ジュディ・ガーランドが見つけ出したスターです。ミッキー・ルーニーの相手役ばかりでうんざりしていたガーランドは、自分に合った相手役を探していましたが、ブロードウェイの舞台に出ていたジーン・ケリーに目を付けます。ケリーはロジャースとハートの書いた「パル・ジョーイ」というミュージカルを1940年に舞台で演じていますが、恐らくはその舞台を見たジュディが相手役にしたいといってハリウッドに呼んだのでしょう。ジーン・ケリーは「僕と彼女のために」(1942)でジュディと共演して映画デビューします。踊りのうまいケリーは一気に人気が出て、ジュディの相手役ではなく、大スターとなってしまいます。

■長峯:踊り手の大スターというと、フレッド・アステアとジーン・ケリーが有名ですが、二人の踊りは何が違うのですか。

◇重木:アステアは時代が古いので、端正で優雅に踊る印象があります。タップ・ダンスをベースとしているので、タップ・ダンサーの別名である「フーファー」と呼ばれることもあります。燕尾服を着てステッキを持った踊りが良く似合います。ソロのダンスもよいのですが、社交ダンスのようにパートナーと組んで踊る時には、より優雅で洗練された美しさがあります。一方、ジーン・ケリーはアステアに比べると現代的です。優雅さよりも、エネルギッシュで力強い踊りなので、燕尾服ではなく水兵姿で踊る方がより似合う印象です。また、アステアは映画の中でも舞台のように踊りを構成したので、踊りのほとんどはスタジオで撮影しましたが、ケリーは屋外に出て行って街の中で踊ったりしました。もっとも、実際に街の中でロケするのは難しかったようで、多くの映画はスタジオの中に作られたセットの街でしたが、何しろ建物の中から外へ出て行こうとしました。晩年にケリーが監督して、バーブラ・ストライザンド主演の「ハロー・ドーリー!」(1969)を撮りましたが、ダンス場面では思い切り屋外ロケを使っています。

■長峯:そういえば、ジーン・ケリーの有名な『雨に唄えば』のシーンも、建物の外で、雨に降られて歌っていましたね。

◇重木:街の中で踊るだけでなく、新しいことを実験的にやるのが好きだったのだと思います。アステアも随分といろいろと工夫を凝らした踊りを考えましたが、ケリーもいろいろと実験しました。自分ではもっと踊り中心の映画を作りたいと考えていたのですが、英国の「赤い靴」(1948)に先を越されます。「赤い靴」はクラシック・バレエの世界を描いた、本格的なバレエ映画で、主演のプリマで踊ったモイラ・シアラーの人気が出ました。この作品は英国のマイケル・パウエルとハンガリー出身のエメリック・プレスバーガーが共同監督した作品で、驚くほど美しいテクニカラーの画面に圧倒されました。今回の事典では書き漏らしましたが、撮影はジャック・カーディフという名カメラマンでした。映画がモデルとしたのは、ロシア出身のバレエ興行師として有名なディアギレフで、ワンマンで独裁的な芸術至上主義のバレエ団長として描かれています。映画では、彼に苦しめられるバレリーナと作曲家との恋物語を描いています。この映画を見たケリーは、どうしてもバレエ映画を自分でも撮りたくなり、アカデミー賞を取りまくった「巴里のアメリカ人」(1951)を作りました。この映画の相手役にはどうしてもパリ娘が欲しかったので、ケリーはフランスへ探しに行き、ローラン・プティのバレエ団で踊っていたレスリー・キャロンを見つけ出します。ケリーは、この作品が成功したので、もっと芸術的なダンス映画を作りたくなり、「舞踏への招待」(1956)を撮ります。この作品は歌もなく、ほとんどバレエだけで構成された3編のオムニバス作品ですが、あまりにも芸術的過ぎたのか、興業的には振るいませんでした。3編のうち最後の『船乗りシンドバッド』では、アニメの世界に入り込み、千夜一夜物語のシェヘラザード(これもアニメ)と一緒に踊りますが、これがとても楽しくできています。

■長峯:アニメと一緒に踊るというのは、どんな表現になるのでしょうか。

◇重木:アニメが相手役といっても、実在のダンサーであるキャロル・ヘイニーが踊ったのを撮影して、その映像をアニメで描いて置き換えているので、アニメなのですが、実際にキャロル・ヘイニーが踊っているように見えるのです。

■長峯:キャロル・ヘイニーとは、どんなダンサーだったのですか。

◇重木:アメリカのダンサーの中では伝説的な人です。映画では「キス・ミー・ケイト」(1953)のダンス場面で、若き日のボブ・フォッシーと一緒に踊っています。この踊りはボブ・フォシー自身の振付です。また「パジャマ・ゲーム」(1957)でも脇役ながら見せ場のある役を演じていて、歴史に残るボブ・フォッシー振付の『スチーム・ヒート』を踊りました。ヘイニーは舞台版の「パジャマ・ゲーム」でも同じ役を演じていましたが、ある日のこと足を挫いてしまい、その代役としてデビューしたのがシャーリー・マクレーンでした。ヘイニーは、映画界ではジーン・ケリーの振り付けを手伝っていますが、ブロードウェイでも「シー・ラブス・ミー」(1963)、「ファニー・ガール」(1964)などの振り付けを担当しています。残念なことに肺炎をこじらせて、39歳の若さで亡くなってしまいました。

■長峯:話は戻りますが、ジュディ・ガーランドがミッキー・ルーニーの相手役になり、相手役から外れたディアナ・ダービンは、その後どうなったのでしょう。

◇重木:ダービンはユニヴァーサル社に移り、そこでミュージカルに出演します。ユニヴァーサル社というのは、ドイツ系のユダヤ人の作った会社で、30年代には欧州にも欧州ユニヴァーサル社がありました。欧州で製作を担当していたのがジョー・パスタナクで、監督のヘンリー・コスターと組んで仕事をしていました。パスタナクは、ハンガリーのフランチスカ・ガールなどを主演にして、「ベロニカの花束」(1933)、「春のパレード」(1934)、「ペエテルの歓び」(1934)などの優れた作品を作っていましたが、ナチス・ドイツが台頭してきたために、1936年に欧州ユニヴァーサル社を畳み、ハリウッドへ移ります。製作者パスタナクは、欧州を感じさせるオペレッタ的な歌手が好きだったので、ディアナ・ダービンを一目(一聴き)で気に入り、米国のユニヴァーサル社でミュージカル映画を撮りました。ダービンはMGMが確保していたのですが、MGMが手放したため、ユニヴァーサルへ移籍して、「天使の花園」(1936)で本格的なデビューを飾りました。この時にユニヴァーサル社は、ちゃっかりと『ユニヴァーサル社が見出したディアナ・ダービン』と宣伝しました。

■長峯:ユニヴァーサル社で売り出されて、日本でも「オーケストラの少女」で人気が出ましたね。

◇重木:ダービンが「天使の花園」でデビューしたのは、15歳の時でした。子役というよりも少女役です。三人娘の末娘役で、おしゃまな少女を演じて人気が出ました。この時の役柄は、恋に恋する乙女といったものですが、日本では次に出演した「オーケストラの少女」(1937)の方が有名になります。こちらは恋愛抜きの少女のイメージですが、この作品は例外で、大部分の作品では、恋に恋する乙女を演じています。ダービンも人気が高かったのですが、パスタナクが1942年にMGMに移籍すると、その後は良い作品に恵まれませんでした。

■長峯:とても気になったのが、シャーリー・テムプルに始まった子役ブームです。ミッキー・ルーニー、ジュディ・ガーランド、ディアナ・ダービンと登場しましたが、この子役ブームは、その後も続きましたか。

◇重木:そのほかにも同じような子役が出ましたが、1940年代になると消えてしまいました。時代が変わったためでしょう。アメリカは30年代の不況を抜け出して、第二次世界大戦の時代になりますので、若い兵士たちに受けそうな、大人の美人女優の時代となります。子役映画の系譜ということで考えると、1950年代中頃から1960年代中頃までの10年間、スペインで再び子役が活躍する時代がありました。当時のスペインというのは、フランコ将軍の軍事独裁政権で、政治的な映画は困難でしたが、カトリック教会の勢力も強かったので、宗教批判も難しかった時代です。そうした中で、子役を使った映画「汚れなき悪戯」(1954)が国際的に高い評価を受け、一気に子役ブームとなりました。ボーイ・ソプラノを売り物にしたホセリート、おしゃまな娘マリソル、現代娘ロシオ・ドゥカルなどが有名になりました。表現の抑圧や社会的な圧力が強い時代に子役が出やすいという気がします。

−−次回は、第二次世界大戦中やその後のミュージカル映画についてお話を聞く予定です。お楽しみに。(5月31日更新予定)

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プロフィール

重木昭信 プロフィール

■重木昭信(しげき・あきのぶ)
1951年生まれで、1973年から大手通信会社勤務。1988年から情報通信会社で大規模情報システムの開発に従事。2007年に情報通信会社代表取締役副社長。プロジェクト・マネージメントの功績により、2011年にプロジェクト・マネージメント学会賞を受賞。2012年情報サービス会社代表取締役社長。現在は会社顧問。中学生時代からミュージカルの歴史を研究し、芝邦夫の筆名でも著作を発表。主な著書に「ブロードウェイ・ミュージカル事典」(芝邦夫)劇書房 1984(増補版1991)、「ミュージカル映画事典」平凡社 2017

■長峯英子(ながみね・ひでこ)
演劇/出版/ワークショップ等企画、プロデューサー 劇書房主宰


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