特集|「ミュージカル映画事典」の著者・重木昭信に聞く【第6回】欧州のミュージカル映画演劇ポータルサイト/シアターガイド
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「ミュージカル映画事典」著者に聞く

世界初のミュージカル映画「ジャズ・シンガー」(1927年)から「イントゥ・ザ・ウッズ」(2014年)まで、アメリカ・ミュージカル映画の全貌を紹介する本邦初の事典「ミュージカル映画事典」。アメリカの映画・テレビ作品を中心に、英・独・仏の主要作を含めた約3400作品を収録した本著が、どのようにして執筆されたのか、著者・重木昭信に聞いた。

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【第6回】欧州のミュージカル映画

「【第5回】第二次世界大戦中と戦後のミュージカル映画」はこちら

■長峯:事典では、アメリカ以外の国の作品も書かれていますね。

◇重木:私が面白いと思っているのは、ドイツ、スペイン、ソ連の作品です。いずれの国も、ヒトラー、フランコ、スターリンという独裁者の時代に面白いミュージカル映画が生まれています。イタリアは例外で、ムッソリーニがいましたが、名作は出ていません。独裁者たちはプロパガンダのために映画産業の育成に力を入れました。イタリアの場合には、トーキーが誕生した1920年代末には映画産業が壊滅的な状況だったために、ムッソリーニはまず映画産業の育成に力を入れたのですが、その成果が表れるのは、ムッソリーニが亡くなった戦後のことで、ネオレアリズモとして花開きます。独裁者の時代にミュージカルが流行るというのは、独裁者がミュージカルを好むということではなく、あまり真面目な映画を撮ると粛清されてしまう恐れがあるので、毒にも薬にもならないような作品が多く作られたのではないかと思います。

■長峯:ドイツでは「会議は踊る」(1931)が有名ですね。

◇重木:ドイツでは、ワイマール憲法の共和制の時代と、ヒトラーが政権をとった1933年以降では随分と事情が変わります。ユダヤ系の人材がドイツから殆んどいなくなったこともあり、出演者も含めて全く入れ替わっています。ワイマール時代のドイツ映画は、同じドイツ語圏のオーストリアとの交流も深く、ウィーンで流行したウィンナ・ワルツや、ハンガリーの民族舞踊チャールダッシュを使ったオペレッタの映画版などが多く作られています。「会議は踊る」に主演したリリアン・ハーヴェイもワイマール時代から活躍した女優です。お父さんはドイツ人、お母さんがイギリス人、学校はスイスの寄宿制でしたから、英独仏の3か国語に堪能で、トーキー初期の各国語版への出演を一人でこなせる便利な存在でした。彼女はナチスが政権をとった後もドイツで活躍しましたが、ユダヤ系の友人を助けたとして迫害されたために、結局はフランスへ脱出しました。その後ドイツで活躍したのは、ナチスがドイツの純血を語るのに反して、皮肉にも外国系の俳優が中心でした。

■長峯:ナチス時代に活躍した俳優は誰ですか。

◇重木:ハンガリー出身の女優で踊りの得意なマリカ・レックが一番人気で、その相手役はオランダ出身のオペレッタ歌手ヨハネス・ヘースタースが勤めました。アメリカで人気のあった美人女優グレタ・ガルボに対抗して売り出されたのが、ドイツのガルボと呼ばれたスウェーデン出身のツァラー・レアンダーで、これらのスターたちは純粋のドイツ人ではありませんでした。純粋ドイツ系ではミュンヘン出身の美人女優レナーテ・ミュラーがいて、ワイマール時代から活躍していましたが、ユダヤ系の恋人がいて、ヒトラーの求愛を断ったことから、2階から転落して謎の死を遂げています。ドイツには踊りのうまい女優がいなかったのですが、マリカ・レックは若い時にアメリカでダンスの仕事をした経験があり、アメリカ流のタップ・ダンスを踊りました。ヨハネス・ヘースタースは、「メリー・ウィドウ」のダニロ役が得意なオペレッタ男優です。この二人は戦後も西ドイツで活躍しました。ツァラー・レアンダーは、やはりオペレッタ出身の女優ですが、出演料をナチスが外貨建てで支払ってくれなかったため、戦争の途中で祖国スウェーデンに戻りますが、ナチス協力者と非難されて、仕事はできませんでした。

■長峯:スペインのミュージカル映画というのは、あまり知られていませんね。

◇重木:スペインでは1936年から39年にかけて内戦があり、その間は殆んどまともに映画を作れなかっただけでなく、それ以前の映画作品も9割ぐらいは喪失してしまっているので、あまり知ることができません。内戦終了後も、スペインは参戦しませんでしたが、第二次世界大戦があったので、本当に映画作りが盛んになるのは1950年代からだろうと考えられます。そうした逆境の中でも、フラメンコを題材とした作品が結構作られています。イムペリオ・アルヘンティーナ、カルメン・アマヤ、エストレリータ・カストロ、ローラ・フロレス、カルメン・セビーリャらのフラメンコ映画が沢山作られました。一時代を作ったのはサラ・モンティエールというマリリン・モンローをもっと妖艶にしたような女優で、「最後のクプレー」(1957)や「すみれ売り」(1958)で人気が出て、1960年代末まで活躍していました。スペインは、独裁時代に外国との交流が少なかったので、古いスタイルのミュージカル作品が60年代末まで残っていたわけです。

■長峯:ソ連のミュージカル映画というのも、ほとんど知られていませんね。

◇重木:ソ連時代のミュージカル映画は、スターリン時代の思い出との結びつきが強いためか、スターリン批判(1956)以降は、ソ連崩壊まであまり上映されなかったようです。ロシア革命以降、無声映画時代には、エイゼンシュタイン監督らの巨匠たちがモンタージュ理論に基づいて傑作を作っていました。ところが、レーニンが亡くなり、スターリンが実権を握り1932年に「社会主義的リアリズム」が打ち出されると、芸術分野の活動にはかなり制約が出てきます。ボリショイとマリインスキーのバレエ団は何とか古典的なバレエの技術を継承しましたが、映画界では従来のモンタージュ路線が批判されます。スターリンが映画好きだったために、逆に厳しい環境に置かれてしまったようです。何しろスターリンはクレムリンの中に専用の試写室を作り、完成した映画は全部自分自身でチェックしたようです。そのため、スターリンの逆鱗に触れるような作品は誰も作れなくなり、映画製作本数も激減してしまいます。そうは言ってもスターリンの気に入りそうな作品を作る必要があるので、集団農場などを背景としたミュージカルが作られたわけです。エイゼンシュタインの弟子にあたるグレゴリー・アレクサンドロフ監督は、トーキー研究のために欧米を見て回ったので、マルクス兄弟映画をまねた「陽気な連中」(1934)、バークレイ映画をまねた「サーカス」(1936)などを作っていて、プロパガンダくさいとはいえ楽しめます。もう一人、イワン・プィリエフはコルホーズなどの集団農場を背景にした作品を多く作った監督で、スターリンのお気に入りでした。日本でも公開された色彩が美しい「シベリア物語」(1947)も手掛けましたが、スターリンに近すぎたためか、「批判」後に彼の作品は上映されなくなったそうです。

−−次の最終回では、重木さんのお好きな作品やスターなどについてお伺いします。お楽しみに。(6月14日更新予定)

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プロフィール

重木昭信 プロフィール

■重木昭信(しげき・あきのぶ)
1951年生まれで、1973年から大手通信会社勤務。1988年から情報通信会社で大規模情報システムの開発に従事。2007年に情報通信会社代表取締役副社長。プロジェクト・マネージメントの功績により、2011年にプロジェクト・マネージメント学会賞を受賞。2012年情報サービス会社代表取締役社長。現在は会社顧問。中学生時代からミュージカルの歴史を研究し、芝邦夫の筆名でも著作を発表。主な著書に「ブロードウェイ・ミュージカル事典」(芝邦夫)劇書房 1984(増補版1991)、「ミュージカル映画事典」平凡社 2017

■長峯英子(ながみね・ひでこ)
演劇/出版/ワークショップ等企画、プロデューサー 劇書房主宰


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